コンパイルとぷよまん

 伝説の広島銘菓(笑)、ぷよまんが復活しましたね。私も早速買ってみました。

(4個入りで1,001円は、少し高いね…)

 まあ、そもそも、若い人などは「ぷよまんって何?」状態ですかね。まずはこの説明からしましょう。

 1980年代~1990年代にかけて、広島から発祥して全国にその名を轟かしたIT企業(?)がありました。その名も「コンパイル」。

 私がこの会社の存在を知ったのは高校生の頃。当時は、ファミリーコンピューターファミコン)の全盛期でしたが、このファミコンをパソコンにしたようなMSXというパソコンがあり、当時私はそのユーザーでした。

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(こんなPCでした)

 このMSX。ファミコンのように、基本はソフトを機器に差し込んでゲームをする機器だったのですが、一応パソコンだったので、フロッピーディスク(FD)も使えるようになっていました。

 そこに目をつけたのがこの「コンパイル」。FDを利用して、色々なゲームをちょっとだけ体験できるディスクマガジン「ディスクステーション」を発行し始めたのです。

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(こんなものでした)

 

 当時、なかなかゲームソフトを買うことが出来なかった私。「このディスクマガジンはいい! 普通の雑誌のように「見るだけ」じゃなく、ちょっとだけゲームできる!(当時はそれだけで画期的なことだったのです) これぞ、ファミコンでは実現できない、FDを利用したMSXならではのサービスじゃないか!」と興奮したのを覚えています。で、それを販売しているのが広島の会社だという。「さすが広島。凄い会社があるものだ」と思った記憶があります。

 ただ、コンパイルが本格的に有名になったのは、このディスクステーションが理由ではない。90年代に入って、「ぷよぷよ」というゲームを販売し、その大ヒットにより、この会社は一気に有名になったのでした。

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(こんなゲームでした。私もちょっとだけしたことありますが、すぐに透明色のぷよにマス?を埋められて、負けてばかりだったのを覚えています…)

 

 当時は私はもう大学生になっており、ゲームもほとんどやらなくなっていたので、「ぷよぷよ? ふ~ん。まあ、テトリスの二番煎じみたいなゲームだね」としか思っていなかったのですが、まあ、それでも凄かった。ゲームをしない人でもその存在だけは知っているようなゲームでした。

 で、このぷよぷよの大ヒットで調子に乗ったコンパイル。「の~みそコネコネ」を合言葉に、一気に経営規模の拡大に走りました。

 ぷよぷよを饅頭にしたり、その饅頭のお店を作ったり(本通りにあったらしいのだが、私は記憶にない…)、オートバイチームを作ったり、幕張メッセで大規模なイベントを行ったり…。入社式も幕張メッセとかで行っていたのでしたっけ??

 …。正直、私はこの頃から、コンパイルを冷めた目で見ていました。「この企業、ちょっと調子に乗りすぎじゃろ? キャラクターを饅頭にするとか、えらく安易な発想だ。全然頭使っていない。これのどこが「の~みそコネコネ」だ。派手なことやりたいだけじゃないのか?? ディスクマガジン作っていた頃のコンパイルはどこいった」と思っていました。

 ただ、当時の広島経済は、マツダのフォード傘下入りもあり、真っ暗な状態。その中で「コンパイルは広島の希望だ。凄い! 脱・重厚長大の象徴だ」みたいな雰囲気がありました。

 私は当時、とある経営者団体に勤務しており、その中で「是非コンパイルの社長の話が聞きたい」ということになり、98年3月(だったと思う)に、講演会を行うことになりました。

 私は、「くだらね~」と思いつつ、「まあ、話を聞くだけなら悪くないか」と思いながら講演会の準備を進めることとしました。

 ところが、98年2月頃だったでしょうか。コンパイルより、「講演会の日は、社長の都合がつかなくなった。延期させてくれ。日程が調整できたら、また連絡する」という連絡が入り、「???。いやいや、先に予約したんだから、こっち優先で講演会しろよ…。でもまあいいか…」と、「一旦延期」としました。

 で、その1か月後ぐらいでしたかね。テレビのニュースで「コンパイル、和議申請」を知りました。講演会を断ってきた時から、もう、尻に火がついていたのでしょうね。「そりゃ、講演会断るよねぇ…」という感じでした。

 

 以上が、コンパイルぷよまんの主な歴史です。設立当初は上手くいっていた会社が、調子に乗って失敗するという、まあ、ワンマン社長の会社によくある話ですね。

 

 で、ここで私が言いたいのは、「コンパイル、バ~カ(笑)」ってことじゃない。コンパイルのような企業をきちんと育てられなかった広島と言う都市に、ちょっと問題があるんじゃない?と思います。

 近年の広島県の人口社会減に対して、「広島に魅力的な就職先が少ないのが原因だ。IT企業とか、もっと誘致しろ」という意見があります。

 私はそういう意見に必ずしも賛同しませんが、まあ、IT企業などはあった方が良いのは確かでしょう。で、実際に、90年代にはそういう企業(コンパイル)が広島にあったのです。福岡のレベルファイブ等にも負けない、時代の最先端を行く企業でした。

 そのコンパイルがこんなことになってしまった原因は何か。勿論、経営者の責任が一番なのは言うまでもないですが、右腕となる優秀な側近はいなかったのか。税理士などはもっと早くに忠告出来なかったのか。経営者仲間で忠告してくれる仲間はいなかったのか、などなど、結局は広島の「人」に苦言を呈したくなります。(特に、あの時点で「あの経営者の話が聞きたい」とか言って講演会を企画した経営者団体とかはダメですね。どこ見てんだか、って話です)

 

 なので、結局、私から言わせると、「広島の人口減に対応するため、もっと行政が頑張れよ。IT企業誘致しろよ」とかいう意見には、「はぁ?」って感じなのです。IT企業もロクに育てられないくせに、また、IT企業が来ても「宝の持ちぐされ」にするくせに、「行政が誘致しろ」ですか? はぁ? 誘致しても、広島に拠点を置くメリットがなければ、すぐ撤退しますよ。まずはIT企業が進出したくなるような市場・環境・土壌をみんなで作るのが先でしょうが…。

 コンパイルだけでなく、広島にもIT系の企業はまだまだある。まずはこういう企業をきちんと育てるべきでしょう。で、そういう企業を育てるのは、他の誰でもない、広島の市民です。結局、地域の活性化などを支えるのは「人」なんだと思います。

(そもそも、世間で言われる「IT企業」の定義が良くわからないのですが、私が以前から凄いな、と思っているのがこの企業。新星工業社です。私は以前、民間に出向していたことがあるのですが、そこで使われていたシステムが新星工業社のものでした。大手が作ったシステムを使っている会社が多い中、私の出向先は新星工業社独自開発のシステムを使っており、また非常に使いやすかったのを覚えています。企業誘致をどうこう言う前に、こういう企業をきちんと育てること。それが一番大事でしょう。分かりやすく言うと、広島市立大学の情報学部とかで学んだ学生がこういう企業に就職し、使いやすいシステム開発して、それがヒットすれば、「IT産業の振興」となる訳です。結局は「人」ということだと思います)